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SANMAN

思いつきの考えを垂れ流すブログ

「社会が悪い!」は間違いでもない

よくある「俺が〇〇なのは社会のせいだ!」ってのは間違いでもないって話。

差別は、人が社会的動物である限り逃れられない。 社会性を捨てるは困難きわまりないので、差別とうまく妥協しながら付き合っていくのがよいのでは。

差別は社会が産み出す

社会というのは2人以上の人が接触せざる得ない行動圏で活動する限り発生する。 身近で避けがたい社会の差別といえば、思春期の娘が父親と一緒の洗濯を拒否するというものがある。 これは明らかな差別だ。

洗濯という衣服の洗浄を目的とした行為において、非論理的な主張により差別され、概ねどの家庭でもその主張に沿った行為が正当化される。 明らかな人権侵害。 人権侵害救済法とはなんなのか。

家庭のような小さな社会にかぎらず、人が2人以上かかわると差別というのは自然発生する。

社会が悪い!は間違いでもない

社会が身体的障害や、ブサイクであるという顔面障害など、さまざまなハンディキャップをハンディキャップとしている限り、そういったどうしようもない事を理由とした差別から、どうしようもできる事まで、差別は発生する。 これらは社会が無ければ発生しない。 ブサイクだろうが、知的障害者だろうが、自分一人しかいなければ社会は生まれず、差別も生まれない。 人は集団で暮らす社会性の動物であるがゆえ、どうしても差別の撤廃ができない。

社会が悪い!と主張する人は、ブサイクであったり貧困層であったり、知恵おくれの如き知性しか持ち合わせていなかったりする。 こうした人の欠点はすべて社会があることで発生する。 比べる対象がなければ、ブサイクも知恵おくれもない。

こうした人に対し、社会は「ちゃんと勉強していなかった報いである」「努力が足りない」といった自己責任論に持っていく。 しかし、そうした努力を強要するのは社会だ。 本当に平等であったら努力はいらないし、誰も困ってない。

人は平等ではない

平等であったらこんな困ってない。 人はいつか死に至る以外平等な要素はない。 平等院鳳凰堂くらいなにが平等なのか。

しかし、完全な平等は無理にしても、社会は機会の平等を重んじるようになってきた。 これは良いことだ。 激しいワキガであろうが、ハゲであろうが、とりあえず面接くらいはさせる。 まず落ちるが、受けることが出来るのはだいぶ違う。

差別があるからこそ、キャリアアップのための戦略があるし、メイク術もある。

なんかよくわからなくなってきた

差別は良くないけれど、社会がある限り差別はなくならない。 社会が悪の権化だったんや。 社会の中で生きることを強いられる我々は、適当な折り合いや妥協をしてなんとか生きていくしかないよって話。 社会の中にいる限り、良いポジションに行くには、スタート地点からそれぞれそれなりに努力が要求される。

イカがそろそろいいかんじに焼きあがっていいオイニーしてきたんで、ここで終わり。